大正時代の総理大臣・清浦奎吾(きようら けいご)の別宅として明治40年に建築。その後、隣接する元老で第3・9代総理大臣・山縣 有朋(やまがたありとも)の別荘「古稀庵(こきあん)」の別庵として編入。庭園の設計は無鄰菴(京都)やホテル椿山荘東京を手掛けた山縣有朋の構想に基づくと伝えられる。2018年11月より一般公開。2025年3月に庭園が整備されました。
2019年の取材時は庭園が荒れていたが、2025年3月に再整備されたため、同年11月に再取材を行った。総理大臣の別荘や隠居が多く残る小田原。こちらも総理大臣の別邸が成り立ちであり、設計は無鄰菴(京都)やホテル椿山荘東京を手掛けた山縣 有朋(やまがた ありとも)の構想に基づくものである。各部屋からは箱根山を借景にした庭園を楽しめる立地であり、かつては相模湾も眺められたとのこと。
再取材すると、ほぼ芝生しか見当たらない退屈な庭園とは打って変わって、山や川の流れなど自然の造形をそのままに表現する山縣 有朋流の庭園がみられた。ちなみに流水のために水源を開き、庭園の北東に滝石組を組み、南西にかけて遣り水を造っている。山縣流の庭園の最高峰は、なんといっても京都の無鄰菴(むりんあん)だろう。
庭園を取り囲むように。枯流れを設けている。
滝石組を通過して、中島で一度二分され南西へと繋がる。不定期にではあるが、庭園の特徴でもある水景が楽しめる。取材時は水景は行われていなかったが、内覧会での写真には、その様子が紹介されていた。
三段に落とされた緩やかな滝石組。かつて山縣有朋が所有していた個人用水道「山縣水道」から取水して、滝に水を流していた。
枯流れには、流れを分流する水切石を据えている。
当時は石垣山や相模湾を借景としていたとのことであったが、現代では木々の生長により、借景からそれらを感じとることができなかった。
2019年に取材した皆春荘は、このような荒れた姿であった。
以前は建物内部は立ち入り出来なかったが、再整備により額縁庭園も楽しめるようになった。
座敷から枯流れを眺める。
皆春荘の案内図。滝石組と流水の位置関係を分かりやすいように加筆。 [ 案内図を拡大する ]
| ○ | 2025年の再整備により滝石組や枯流れが蘇り、当時を思い出せるような姿を見学できるようなった。 |
| × | 特に見当たらない。 |